正岡子規の遺言    5日の記録

正岡子規の己が葬儀に関する遺言

正岡子規は自分の葬儀に関して 色々と注文をつけていたらしく、その葬儀の場面でモノローグとして読まれた。
ちょっと興味深い文章だったので のっけます(^^)


★『われらなくなり候とも葬儀の広告など無用に候。家も町も狭き故 二、三十人もつめかけ候はば柩
の動きもとれまじく候。

 何派の葬式をなすとも柩の前にて弔辞伝記の類読み上候事無用に候。

戒名といふもの用ゐ候事無用に候。 かつて古人の年表など作り候時狭き紙面に
いろいろ書き並べ候にあたり 戒名というもの長たらしくて書込みに困り申候。 戒名などはなくもがなと存候。

 自然石の石碑はいやな事に候。

 柩の前にて通夜すること無用に候。通夜するとも代りありて可致候。

 柩の前にて空涙は無用に候。談笑平生の如くあるべく候。 』


★余は今まで禅宗のいはゆる悟りという事を誤解していた。

 悟りという事は 如何なる場合にも

 平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで

 悟りという事は 如何なる場合にも

 平気で生きている事であった
                −正岡子規遺言書ー


近い将来の自分に参考になります(^_-)