ちょっとすくすく育ちすぎて只今ダイエット中で〜す! (T_T)


★こころの法話から 「命はつくるものではなく、不思議にも与えられるもの」

『長年農業に携わってきて、毎年、稲の栽培と向かい合ってきたある農家経営の長老がこういうお話をしていました。
「お米は作るものではなくて、とれるものだ」と。
私は、はっとさせられました。 一般的に「稲作」という言葉が使われているので、どうしても人間が稲を作っているように錯覚をしがちなんですけれど、ちょっと考えてみれば、稲を育てているのは人間ではない訳ですね。
太陽と土と水の恵みが一粒の種から稲を育てている訳ですし、人間に出来るのは
ただ、稲の出来るのを見守る、健やかに成長できるように環境を整えてあげる、そのくらいですね。一粒の小さな種、つまり、その中に書かれている神秘の生命の設計図に従って、やがて環境が整うと芽が出て、葉が出て、根が出て、作物や、野菜であれば大きな実をもたらしてくれる訳ですよね。
そこに命の神秘を感じざるを得ない、と言うことかと思います。
これは、実は植物の事だけではなくて、人間も含めたあらゆる生物がこの神秘の営みというものを行っている訳で、まことにもって、命というものは神秘的で不思議で、かけがえのないもの。
そのことに気づくのと気づかないでいくのとでは、人生の充実度が大きく違ってくるのかなと思います。』


ふ〜ん・・・
「己は人間として、日本人として、女性として、男性として生まれてくるぞ!」

と思ってこの世に生まれてきた人は おそらく1人もいません。

気がついたら今の自分で人生を歩んでいますものね・・・。